こんにちは。のぞみです。
この記事は「心の処方箋」第一弾です。
初めてなので、どの本を紹介しようか考えた時、真っ先に思い浮かんだ本が『日日是好日』でした。私が適応障害になってから最初に読んだ本で、この先の大切にしたい本のひとつです。
この記事を読んで読んでみたいと思っていただけると幸いです。
こんな人に読んでほしい!
・自分に自信がない人、なくした人
・人生どう生きたいのか、分からなくなっている人
・多忙な毎日の中で疲れてしまっている人
1.書籍情報
今回紹介する『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15の幸せ―』は、森下典子さんの作品で、2008年に出版されています。お茶を軸として就職、失恋、父の死など森下さん自身の人生の節目とそこでの出来事や気づきが描かれています。また、2018年には黒木華さん主演で映画化もされています。
あらすじ
毎日がよい日。雨の日は、雨を聴くこと。五感で季節を味わう歓び。
今、この時を生きていることの感動を鮮やかに綴る。お茶を習い始めて二十五年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。
失恋、父の死という悲しみのなかで、気がつけば、そばに「お茶」があった。
がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。
「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる……
季節を五感で味わう歓びとともに、「いま、生きている!」その感動を鮮やかに綴る。引用<森下典子『日日是好日』>
2.読むきっかけ
私が「日日是好日」という言葉に出会ったのは、3年ほど前です。大学院時代、あるゼミ生がこの言葉を座右の銘にしていました。その人はこの言葉に「毎日その日を大切に生きて後悔なき日々を送る」「捉えようによってはどんな日でもいい日だよね」という意味を持たせていると言っていました。
当時の私は「毎日何かしら前進すべきだ」「無駄な日を過ごさないようにしなければ」と考えており、そんな日を過ごしてしまったら「1日無駄にしてしまった」と自分を責め、落ち込んでいました。
自分は毎日を「大切」に生きているか?「どんな日でもいい日」と思い生きていけたらどれだけ幸せだろう。この言葉が私の心に刺さり、以後「日日是好日」をを大切にしてきました。
そんなある日、「日日是好日」という小説があることを知りました。気になりつつも、買ったあと日々の忙しさを言い訳に積読状態でした。
そして数か月前に適応障害になり、自分の生き方をもう一度見つめなおそうと決意。いろいろ考えるきっかけになればと思い本を読むことにしました。その時何真っ先に目に留まったのが『日日是好日』。今こそこの言葉の意味と、この小説と向き合うべき瞬間かもしれないと思い、本を手に取りました。
3.ここが魅力!
この本を読んで、私が伝えたい魅力は以下の3つです。
①描写の細やかさ
②人生を生きるということ、大切なこと
③生きる歓び、幸せ
①描写の細やかさ
ひとつめは、何と言っても描写の細やかさです。
この本の登場人物は主人公の典子、典子のいとこのミチコ、お茶の先生である武田先生の3人です。
典子とミチコがはじめて武田先生の家を訪れたときの稽古部屋の様子にはじまり、使う道具の色・質感、お点前一つ一つの所作、お茶や和菓子の見た目・色・あじわい、そして季節や空気観、音など…
典子をとおしてお茶や季節、空気観など五感すべてをくすぐられるような感覚を覚えます。その色鮮やかさやお茶・和菓子の味、めぐる季節をまずは存分に味わってほしいです。
②人生を生きるという事、大切なこと
典子はお茶のお稽古でお点前を何度も何度も、繰り返し練習させられます。なぜこれをやるのか、どんな意味があるのか、それを問うても「それがお茶なの。理由なんていいのよ、今は」と。メモを取るのもダメ、覚えるのもダメ…。細かい作法や日々変わる道具に対し、典子はいら立ちや混乱を覚えます[森下2008:38-70]。
そんな典子も繰り返し練習し、時に人のお点前を見て学ぶことで次第に自然に手が動くようになり、稽古部屋に飾られている掛け軸や季節ごとの花、道具などの意味に「気づく」ようになります。
私はこの「気づき」が生きる上で重要なことだと感じました。もし仮に武田先生がはじめから作法の理由や稽古部屋の掛け軸、道具、生け花の意味を教えていたらどうなっていたでしょう。「へぇー、意味があるんだなぁ」くらいに終わっていたかもしれません。そうではなく、自分で気づけたからこそこれまでの点が線につながりゾクゾクする感覚、「ああ!そうだったのか!」と腹落ちする感覚を味わうことが出来たのだと思います。今はわからないかもしれない。けれどいずれわかるときが来る。
人生を長い目で見つめ、その中で気づきを得ること。それが「人の成長」なのではないかと私は思います。
そしてもうひとつ大切なことが「今に集中する」こと。
典子は就活や結婚など年を取っていくにつれて多くの人が経験するであろうことに関して自分だけ置いていかれているような不安と焦りを感じています。そのような状態でお稽古をしている時武田先生から言われた言葉が「あなた、今どこか、よそへ行っちゃっているでしょ。(中略)ちゃんとここにいなさい」でした[森下2008:141-142]。
この言葉に、私はハッとしました。何をするにしても目の前の作業とは関係ないことを考えたり、テレビを見ながら食事をしたりスマホを触ったり。ひとつのことにちゃんと向き合う、「集中する」ことをしなくなったのはいつからだろうと。その時間を失っているからこそ漠然とした不安や焦りを抱えているのではないだろうか。何か大切なことを忘れてしまっているのではないだろうか。
「長い目で今を生きる」こと、そのために「今、ここに集中する」こと。情報にあふれ効率や結果を求めすぎるこの世の中で、自分がどう生きたらよいか分からない、生きづらいと感じている人もいるのではないでしょうか。
自分は何を大切にしたいのか、どう生きたいのかを考える上で「気づき」はとても大切なものだと思います。その気づきは人から教えて貰もらうものでもSNSから見つけてくるものでもありません。「今、ここに集中」し、「長い目で今を生きる」ことで見えてくるのではないでしょうか。
③生きる歓び、幸せ
第10章では、典子の通うお茶教室で行われている茶事の稽古が描かれます。その度に武田先生は「真剣におやりなさい」「一生に一度限りだと思って」やるようにというんです。
武田先生の言葉に対して同じお茶教室に通う雪野は「千利休が生きていた時代と関係があるのだろう」といいます。いつ死ぬかもわからない世の中で、家族や友人と会うのは今日で最後になるかもしれない。「一生に一度」になることが多かった時代だからこそ、その一回に真剣に向き合っていたのだろうと[森下2008:191-192]。
そんな話をした矢先、典子の父が倒れ、無くなってしまいます。「明日会いに来るね」といったばかりだった。その時典子は「二度と」会えなくなることの突然さを実感するんです。
少し話はそれますが、私は高校生の頃熊本地震を経験しました。その時、「いつも通りの明日」が来ることは当たり前ではないと気づきました。数年前、祖母にガンが見つかりました。その時、人は老いていくしいつかは死ぬんだと気づきました。
明日が来ることは当たり前ではない。自分の大切な人はいつまでも元気に生きているわけじゃない。失って、あるいは叶えることが難しくなったときに人は気づき後悔するのだと思います。
だからこそ、典子の言葉は胸に刺さります。
会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければならない。(中略)
幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。
だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。
一期一会とは、そういうことなんだ……。
[森下2008:196]
4.読みやすさ
ここまで『日日是好日』の魅力を紹介してきました。
気になる読みやすさについてですが、まずこの本は252頁と読みやすい文量ではないかと思います。
派手な展開や起承転結が明確な本ではありません。描写が細かいのでその描写を想像し、楽しめる人・味わってみたい人に向いていると思います。
一方で、文字だけだとお点前の所作が分かりにくいため、映画と合わせて楽しむことをおすすめします!
まとめ
今回ご紹介した日日是好日は、日頃忘れてしまっていたことを気づかせてくれる本だと思います。
不安で仕方がない時、落ち込んでふさぎ込んだ時、生きづらさを感じた時。
そんな時にこの本を開き、急がず焦らず「今、ここに集中」して自分と向き合うための相棒的存在になってくれたら嬉しいです。
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